バスケな日々(追憶編15)
ミニバスの試合は、ほんと多いですよね。
母親は準備が大変、でも楽しいから、しょうがないか・・・。
何、父親は何もしないで見るだけ?
・・・・・・(沈黙)。
8月19日、少年少女スポーツ交流大会東南村山地区大会。
千歳に38-28、クローバーに54-13で勝ち、Cブロック優勝。
千歳には意外に苦戦しました。
翌週25日~26日は、息つく間もなく、福島県郡山市遠征。
Nコーチが昔から交流を続けている郡山市の小山田スポ少主催の第5回小山田フェスティバル(アーデンスポーツ杯)に参加。
小山田のIコーチは長身痩躯で白髪の上品な外見の方でした。
IコーチとNコーチの交誼は、とにかく深いようでした。
小山田女子のIコーチは、息子さんなのでしょうか?
さて、試合です。
予選リーグの会場は富田西小学校体育館。
一箕松長(福島県)に43-17、宮城野(宮城県)に49-39で勝ち、何とかBブロック1位で予選リーグ突破。
宿泊先は、昨年に引き続き、月光温泉クアハイム。
浴場が大きく、奇麗な施設でした。
翌日は、決勝トーナメント。
会場は郡山西部体育館。
準々決勝は、泉崎(福島県)に42-35で勝利。
しかし、準決勝は片平(宮城県)に45-51で敗退、小山田との対戦は叶いませんでした。
トーナメント表をみると、久之浜(福島県)も参加してるんですね。
この大会での対戦はなかったけど、1か月後に宮城県の大崎フェスティバルで、3年後には中学校の東北大会(岩手県一関市)で対戦することになります。
(追記)
遠征には、家に置いて行くわけにもいかないので、小さな弟や妹達もついて来ます。
最初は大人しく試合を見ていますが、もともと、そんなに興味があるわけでもなく、段々と飽きて、じっとしていられなくなり、周囲を困らせるのが常でした。
そんな子ども達の多くが、将来、バスケをするようになるんだから、不思議ですよね。
小さな子ども達に、時々つきあって面倒を見てくれたのが、当時、唯一人の最年少3年生団員だった佐藤完太君(山形六中→日大東北)でした。
佐藤完太君は、山形六中が全国制覇した時の、スタメン5人のうちの一人です。
そんな素晴らしい選手になるとは、当時は思いもしませんでした。